まず、盆祭りの話からでございますが、「♪長崎名物凧(はた)揚げ、盆祭りー」と長崎ぶらぶら節に唱われとりますような賑やかさ、長崎出身のさだまさしの「精霊流し」で「華やかに 精霊流し がはじまるのです」と歌われる華やかさを少しお話しせんばと思うとでございます
八月十日頃の、お墓の掃除から盆の準備が始まりますが、子供たちも墓へ行って花火をやる、それも音の出る爆竹やロケットの類が盛んで、明るいうちから山の方が賑やかで硝煙があちこちから上がってございます
霊迎えは十三日のものでございますが、今は十四日の夕方位、このときは墓に提灯を掛けて花火をあげる、灯籠掛けと申しております
こちらの墓地は住宅地より上に山に張り付くようにございますから、そこに火が入りますと、長崎の夜景はいつにもまして明るくなるのでございます
家々に掛ける門提灯は、関東の門火にあたるものでございましょう
大体、この霊迎えに灯籠掛けの人が動き始める頃には、町のあちこちに精霊舟が大方の形をなしております
十五日には長崎市内で新盆を迎える家の四割方が精霊舟をだすというのが通り相場のようで、大きさは様々、作りにもそう決まりはございませんが、新仏へのお供えを載せて流して、浄土にわたっていただくということでございます
精霊舟は大方車をつけて引いてまいりますが、もともとは担いで行ったもので、いまでも家族で流すときなどは、舟の形を作って担ぐということが行われております
伝統でそれは立派な催合の舟を毎年出すところもあって、催合では新仏のみならず、普通に菰舟で送る佛さんも一緒に流すのでございます
とくに西山地区の丁ごとの催合舟は立派なもので、かつて「西山ん精霊舟んごたる」というて、遅くまでいつまでも終わらないことをいったものだそうですが、西山の大きな舟が暗い提灯を掛け回してゆっくり曳かれる情景はいかにも精霊流しらしく思えまして、これを興善小学校前あたりの大通りで静かに見とるのが一番好きでございます
先頭を竹竿の先に意匠を凝らした印灯籠がつとめ、次に鉦が続く、この音をチャンコンチャンコンと言いなすのでございます
施主、遺族家族が鉦に続いておりますが、新盆で喪服を着ておりましても、盆祭りと申すように笑って写真を撮っておったりいたします
そのあとが精霊舟となりまして、みよしという大きな舳先を龕灯の様に仕立てて、その家名や町の名などを書いた幕をしつらえて中に火を入れるので遠くからもどこの舟が来たかが分かる仕掛けでございます
船縁は、枠に波の模様の書かれた幕を垂らすばかりでございます
舟の上の屋形の部分に沢山の提灯を吊しまして、家で出すならその家の家紋を入れ、催合であればそれぞれの家の紋の入ったものを持ち寄って隙間無く並べる、西方丸などの文字の入った帆をかけることも習いでございますが、明かり用に発電器を載せたりという現代風もございます
家族から一族郎党、友人までが集まって、市内を大小1500近くの舟を流すのでございますから、コースは決りがあるものの、舟によっては大勢に見て貰おうとわざわざ遠回りをして県庁坂の賑やかなところを曳いて行こうというものもございます
鉦がカカンとなって舟がじわりと動き出す、鉦はチャンコンチャンコンに変わる、曳いているものはドーイ、ドーイの掛け声、最近はこの念仏が転じての掛け声が余り出なくなっているようでございます
ついて行くものがお浄めの爆竹を投げる、これは地面で爆ぜるばかりでなく、投げ上げれば暗闇に線香花火が散るようで、火の煌めきに目が奪われて、音はさほどに感じないものでございます、もっとも耳栓は必需品、盆の間はどこでも売っております
精霊舟は港の流し場へ持っていって、繋いである団平船に投げ込んで、名残を惜しんで残りの花火、爆竹を焚き盛大に送るのでございますが、かつては潮に乗って灯を点した舟が流れていくのを見送ったのでございます
華やかで賑やかな盆祭の名残の道一面を埋める爆竹の燃え滓も、深夜に出動する清掃車によって跡形もなく片づけられ、盆祭の一夜は終わるのでございます
さて、それから十日ほど後、旧暦七月二六日からの三日間が中国盆、蘭盆勝会でございまして、崇福寺に全国の華僑が寄り合い、先祖供養と合わせて施餓鬼供養をおこないますが、境内に「長崎の崇福寺なる盂蘭盆会在日華僑ここに集へる」の句碑がございます
初日、二日目は、霊迎えなどの法要、三日目の霊送りと施餓鬼の行事がみどころで、諸霊に供物をそなえ、亡霊が迷い出て人に悪戯をしないよう、飾っていた金山、銀山、衣山や作り物の紙幣などを焼いて土産にして送るのでございます
三日目夜からの精進明けの供物は中国らしく、豚の頭、丸ごとの鳥を細工して作る動物や人形、山羊、山海の珍味などが備えられ、また、庭一杯に並べられた卓には10種類ほどの供物が一人一人の霊に余るほどにとのことでございましょうが、まさに何百の碗に盛られて整然と並べられてございます
山門脇に飾る冥土への案内役の七爺(ちーや)、八爺(ぱーや)の祭壇から、精霊様の遊び場、買い物のお店の模型などなかなかに珍しいものではございます
この中国盆行事についてのこんな一文がございます
「(中華料理店「天天有」店主)夫婦の目下の最大の関心事は今年の盆祭りだ。例年、旧暦の七月二六日から三日間、長崎市内鍛冶屋町の俗称「支那寺」こと崇福寺へ全国各地から福建省出身の中国人が集まって来る。宿坊には百人を越える客が泊まり、その食事の世話から、毎日替える膨大なお供えのしたくまで、地元の中華料理組合のメンバー四十軒が交代で担当するが、それが大仕事だからというのではない。この中国盂蘭盆会の三日間こそ年に一度の「縁談取りまとめの場」だからである。そろそろ龍政の嫁さんをさがしてやらなければならない。(’94・3)【文芸春秋社「うまいもの職人帖」佐藤隆介・長崎チャンポンの項より抄出】」
こうして盆行事が終わりますと、長崎も朝晩はいくらか夏の火照りがうすれてきたかというような風が感じられるようになってまいります
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