「花よりハタばい」まず長崎ん凧(はた)ばご覧下さい
長崎の花の話をと思いまして見回してみますと、市内ではまず平和公園ということになりますが、爆心地周辺に古木があろう筈もなく、場所柄宴会は禁止という無粋ぶり、花見の名所といわれます立山公園も昭和三十年代の篤志家による植樹という若木ございます
県下に眼を拡げますと、サトザクラ系のオオムラザクラ、その近種のクシマザクラが当地の産となりましょうが、大村城趾を中心にこれも大方若木でございます
ということで、今回は、季節柄もございますのでハナならぬハタのお話、つまりイントネーションは「旗」と同じになりますが凧のお話をさせていただきます
ハタの形は扇の弧の部分を山にしたやや下の長い菱形、アゴバタとも呼ばれます様に、アゴつまり飛び魚の開きみたいだということですが、寸は大分に詰まって巾の方が若干広め、大人の遊ぶものは差し渡しで一尺五寸というところ、これは大小がございます
竹の縦骨に刻みを入れ撓めた横骨を差し込んで糸で括り付けたちょうどこうもり傘の骨を横から見たような骨組の先端部を糸で結んで菱形ができあがります
紙は、縦骨に糊で固定したうえで、弛みのない様にぐるりの糸を糊代でくるんで貼るのですが、菱形の紙の
端から五分ほどのところに切り込みを都合八カ所入れて折り込みますと、四隅の部分が菱形に残りこれが良いあんばいの飾りとなり、骨の端も隠れるのでございます
反りは無く、糸目は縦骨の上下二カ所、左右に下げる切紙の紅白に染め分けた三寸ほどの房「ひゅう」が、飾りに加えて分銅となって尾の役割も兼ねております
絵柄は赤、紺、白、黒の四色の紙を接ぎ合わせて、抽象的な幾何学模様に仕立てますが、昔から伝わる模様も多くいくつものハタが揚がっても大方同じ模様はないもので、青空に遊弋するハタはちょうど船の信号旗か万国旗がはためくかの風情で、風の具合でございましょう、ときには鳶も遊びに寄ってきたりもいたします
三月頃から揚げはじめ、四月にはハタ揚げ場とでも申しますか、唐八景、稲佐山、風頭山、金比羅山など日曜たんびにハタ揚げ大会が開かれるようになります
ハタ揚げ大会の見どころはハタ喧嘩、これがなければ「なんもおもしろうなか」ということにもなりますが、ハタ狂いには東奔西走の季節でございます
ハタ喧嘩では、相手のハタをただ落としても勝ちではございますが、眼目は一〇〇メートル以上を渋紙や漆の一貫の籠にほどき込んだ、ガラスの粉を塗ったビードロ糸(よま糸)でハタを自在に操りながらの切り合いで、相手のよまを切って逃げハタにしてこその勝ちでございまして、糸の出し入れの呼吸一つで、二ミリほどもあるよまをそれは見事に切ってしまうものでございます
糸の切り方にも上から乗せてとか、下になったらどう、風の読みようまでの様々のことがございまして、子供の頃から揚げてやがて旦那芸として完成されるという息の長い贅沢な遊びでもございますが、見物もそれはよく知っておりますから、ハタが遠くて糸が霞んで見えないところで絡んでもそれ!とばかり「ヨイヤー」の大喚声ではやし、これであのハタは今日は三つ切ったとか四つ切ったとか話しては楽しんでいるのでございます
ハタは、糸を切られると拾ったものに所有権が移る習いで、大型のハタの糸(針金にします)に錨型の仕掛けをいくつか付けて、切られたハタの糸を空中でからめ取る「ツケ取り」というような高級なテクニックも遊び方の一つでございます
加えて申しますなら、旦那芸らしく粋にという長崎のハタ揚げでは、バタバタと走って揚げるなどは下の下でございまして、風をまって紙飛行機のようにスイと平らにを飛ばして、あとは糸のやりとりで揚げるというところまでいって本物ということでございます
かつては旦那衆(おとしゃま)は芸者を伴い、豪勢なお重など携えて宴を張るようなことをしながら春の一日を遊んだものだそうでございますが、最近はお姐さんがたもすっかりお年を召されたこともございまして・・
とまれ凧揚げの常識とは違って、てんでの方向に揚がったハタが急降下急上昇をしながら左右に自在に駈け、争う様は、季節の南風、野遊びと並ぶこの頃の季題にふさわしい光景でございます
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