長崎歳時記
小屋入り

「長崎の6月、小屋入りのこと、そしてコッコデショ」

 長崎の6月は商宮律(しゃぎり)の音に明けます
 6月1日は、おくんちの踊町の稽古始めである「小屋入り」、踊町の踊り手等が稽古小屋に入り稽古を始めるこの日の朝8時から、関係者が打ち揃いお諏訪さんで清祓を受けるため「練り込み」の行列につく商宮律の音が町を流れます
 紋付き袴の町役が先導して、色日傘をかざしての踊り手の色紋付き、色留め袖、娘、子役の振り袖、地方(三味線など)の黒留め袖が続き、殿をつとめるそろいの着流しの囃子方が商宮律を流しながら町中を進んで参ります
 商宮律は道中商宮律、お諏訪さんでの諏訪入り(山門の下で笛音高く吹ききるもの)など3、4曲あるようですが私にはよく聞き分けられません

 拝殿でお祓いを受け、神楽の奉納、商宮律の奉納で儀式は終わりますが、梅雨入り間近の新緑の長崎の山並みを前に、町役の羅(うすもの)の夏の紋服、女性陣の華やかな単衣とそれは季節感溢れるものであり、また、踊町内は長崎らしい青白の幔幕を家毎にかけ回します長崎限定での季語としては「小屋入り」は十分な存在感をもっております
 しかしながら、大方の例として、全国主要のお祭り本番はそれぞれの季節の季語となるにせよ祭りに関連する行事は京都の祇園さんでもない限り季語とならないのが実状のようです

 この小屋入りが終われば、踊町内では学校や公民館などでの練習がありますので、4ヶ月の間それなりの宮日準備が進んで参りますし、9月ともなれば曳き物の道中の下調べなどもありますので徐々にお祭り気分は高まっては参りますが、まあ、それは内々のことであります

 しかしながら、今年西暦2000年は日蘭修交400年ということで、長崎では「日蘭くんち」と称する、奉納踊りの一般公開と申しますか、奉納を離れてのショーを行っており、7年に一度10月の宮日の3日間にしか見られない奉納踊りの一部が踊町の肝いりで出島伝統芸能館のイベント広場で行われておりまして、阿蘭陀万歳(栄町)、獅子踊り(玉園町、小川町)、龍踊り(籠町、五島町)、コッコデショ(樺島町)、川船(船大工町)、御朱印船(本石灰町)の6種8町の出し物が6月いっぱいの週末に日替わりで二組ずつ出ており、宮日バカには応えられない年であります
 おくんちといえば龍踊り(じゃおどり)と連想があるように、長崎らしいエキゾチックさゆえの全国区の出し物でありますが、籠町の龍踊りは360年の歴史を持つ県指定無形民族文化財、五島町のものは新しい奉納踊りで青龍、白龍の2頭でのもの、これは今年が踊町であるだけに充実ぶりがみものであります

 ところで、長崎のじげもんに最も人気の高い出し物は、実は龍踊りではなくて「コッコデショ」でありまして、なかみは太鼓山であります
 この太鼓山というのは、お囃子の地方を一切使わず、太鼓山の太鼓と担ぎ手の掛け声だけというだしものですが、瀬戸内沿岸各地にある太鼓山をショーとして洗練したもので、奉納200年記念の扇子に示された由来によれば、太鼓山は、堺の糸荷廻船によりもたらされ、1979年(寛政11年)に堺船の船頭衆により航海安全の祈願を込めて奉納されたことに始まるということです
 山の屋根の五段重ねの布団の5色は陰陽五行思想による森羅万象を表し、掛け声の「ホーラーエー」は「宝来」にちなむものとのこと
 この出し物を文字で表すのはなかなかに難しいのですが、一番の見せ場は「アートニセ、サーキニセ、イヤコッコデショウ、コッコデショウ、イヤ、シャントサイタヨハ、ヨーヤーセ」の掛け声で太鼓山を揉んで、そのまま1メートルほども放り上げ、手ばたき(拍手)を入れて、落ちてくるところを44人の担ぎ手がそれぞれ片手で舁き棒をみごとに受け止める、途端に山の上の太鼓打ちの4人の子供の「ヨーオーイー」の聲が涼しくそろい太鼓が打ち鳴らされるというものである
 この掛け声の「コッコデショ」が演目の通り名ともなっているというもので、滅多にない事ながらバランスを崩せば、投げ上げた1瓲を越える太鼓山が太鼓打ちの4人の子供を乗せたまま担ぎ手の上に落ちてくるということになりますから、結構な迫力でもあります
 (ちなみに、博多山笠などでは舁き手は次々に交代しますが、コッコデショでは担ぎ手44人、太鼓打ち4人、飾り采の若衆4人、長采と介添えの采振りで5人の60人ほどが宮日の3日間のすべてをつとめるというのが長崎の常識で、龍踊りのように持ち手が控えと交代しながらというのは例外的であります)

 蛇足ながら、コッコデショは平成16年の踊町になっていますので、5月いっぱいの日蘭くんちでの出演が終わると、4年後まで見られないかと思っておりましたらこの6月8日から、吉永小百合、渡哲也競演による「長崎ぶらぶら節」の映画ロケがおこなわれ、9日にお諏訪さんの踊馬場での奉納シーンの撮影がありました
 吉永小百合演ずる愛八は三味線の地方ですから踊馬場に土下座、折悪しく雨も降って参りましたが、濡れた地べたもものとせずというのが、長崎芸妓の宮日への思い入れということでございますから撮影にはあまり嬉しくはなかったかとは思いますがよいシーンになっただろうと岡目八目の見方です
 ただ、ボランティア出演の大正時代の見物人を演じた皆さんは、長崎のオトシャマの代表「松田皓一」氏をはじめとして、自前の衣装が濡れてずいぶんと後のお手入れが大変だったろうと思います
 もっとも、高見の見物の私としてはみなさんの衣装を拝見させていただいたことも、小百合さまを遠望できたことに加えての眼福でありました