「ペーロンで梅雨が明ける]
2000年長崎国際ペーロン大会
ペーロンは歳時記には五月の節句行事で、中国の戦国時代、楚の名宰相屈原にちなむものとされておりますが、現在の長崎では六月から梅雨明けの頃に三〇ほどの競漕会がございます
ペーロンがなぜ長崎で行われるのかは、諸説ございまして、一六五五年に唐人が海神を祀るために漕いだことに始まるという話がひとつございます。また、同様の時期に漁師の間で向こう一年の漁業権を賭けて始まったものであるという説もございまして、沖縄のハーリーなどの伝わり様とか、最近まで漁師町で盛んであったということなどこちらの説の方が生活感があり面白い気がいたします。ともあれ三百五十年近いものでございます
兵庫県相生のペーロンは、長崎三菱重工から技術移転のため播磨造船所へ移った人たちによって伝えられたもので、今も五月に行われております
長崎のペーロンは完全に競技化しておりまして、長崎市とその周辺を中心に各地で地区大会を勝ち抜いた代表らによる長崎ペーロン選手権大会が例年七月最終の土曜、日曜に開催されており、今年は、職域対抗、中学校対抗、新たに設けられた女性対抗が二四日、地域代表戦の一般対抗の選手権大会が二五日に行われます
歳時記では、舟や乗員数も様々とされておりますが、それでは競技になりませんので、選手権は長崎市ペーロン協会競漕規則で行われ、漕ぎ手二六名以内、舵取、銅鑼、太鼓、あか取り(任意)各一名、総計三〇名以内が乗り組むものとされております
舟については長さは四五尺(13.636m)以内、銅鑼太鼓を積むこと以外の制約はございませんが、ペーロン専門造船所もございまして、舳先の突起が特徴的(長崎と相生では大分違うようです)でございます
外板には波模様、太陽、矢印、地区名などを画き、全て木造船で、グラスファイバーの方が性能はよろしいのでしょうが、「それではペーロンでなか」というのが地元のこだわりでございます
衣装は揃いのTシャツというのが今や通り相場でございまして、鉢巻きと色を揃えるのが大方でございます
ほかにもいくつかの決まりがございますが、そろそろ最初のレースを見てみることに致しましょう
「櫂上げ一分前!」の号令が掛かりますと、一番櫂と二番櫂が舟の位置を保つために軽く櫂を動かし、残りの漕ぎ手は櫂を水平に構え直します
審判船の海上審判長が赤白の市松模様の発漕旗を掲げ、勢い良く振り下ろしますとスタートでございます
静まり返っておりました会場に応援の喚声が起こり、ペーロンは舫綱を解き放ち、太鼓と銅鑼を打ち鳴らしつつ、まずは七〇〇m程向こうのそれぞれの浮標を目指してスタートダッシュを競うのでございます
漕路は折り返しで、四〇m間隔で設置された浮標を左回りに、櫓に似た長い舵を煽って回ってくるのですが、この出来不出来が勝敗を大きく左右いたします
この巡り様は遥か遠くの出来事でありますが、見物人や応援は、うまく回ったの何のと、それぞれの地区のテントの中やら、岸壁で仲々賑やかなでございます
折り返しますと、だんだんに銅鑼太鼓の整調に追いつかなくなって櫂が浅くなる漕ぎ手も出てまいりますが、あとはもう無我夢中でございます
一番の舟が決勝線を切ると審判旗が振られ、競漕は全舟が決勝線に到達することで終了となります
ペーロンは、太鼓銅鑼に合わせて、漕ぎ手がイチニイチニとか、掛け声を掛けながら(ペーロンペーロンと言うともありますが聞きません)両手で持った一枚の櫂を舷側から突き出して漕ぐという体力勝負の競技で、それは「ぞうたんでなかごた、きつかとです」が、先頭を切った舟なぞもう現金なもので、本部応援席あたりまで一漕ぎするときには途端にしゃきっとしております
入賞すれば賞状、カップ、旗、メダルなどもございますが、賞品は各チーム一律に、タオルと缶ビール(ジュース)というのもほほえましいものでございます
もう少し会場の雰囲気などお伝えしますと作句の参考にもよろしいのですが、なにせあーた、この原稿の締め切りが本大会の当日でございます、もう、原稿どころではございませんほどわくわくして、ドンシャンドンシャンと太鼓銅鑼が響いて来るような気がいたしますので、この辺でご容赦願うことといたします
追記・ペーロンが終わりますと、八月の長崎はお盆の精霊流しへと移ってまいりますが、これを歌ったさだまさしの「精霊流しも華やかに」という歌詞はいささか不思議な歌詞だと思われた方はございましょうか
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