羽裏
額裏、肩裏などともいう、羽織の裏地
これに凝るのがオサレと云いますが、過ぎれば嫌味でもあります
着物入門時代はお対(アンサンブル)で作ることがほとんどでしたが
お茶をやっていると羽織はさほど要らない物となりますから、一疋でも
お対にせずに、袷と単衣を仕立てて羽織はたまに別誂えということが
増えてきましたし、お対と関わりなく、長着、羽織を組み合わせるように
そうなると羽織はちょっと遊んでみたくなるというもので・・
裏絵にした浮世絵
不思議なんですが、まさか生地を裏返して張るはずはない、
絵は裏返っているがどうみても表地が出ているようだ、これも洒落か?
絵柄は広重の五十三次から石部、近江八景から堅田の落雁で
でいずれも滋賀県ということになる
それなりに知恵を搾っているってことなんだなとおもうべし
<濃紺のお召し>
墨絵筏流し
なんということのない風景ということでしょうか
<ベージュ網代の結城>
将棋駒
将棋駒が散らしてあって大方の駒の種類はあるが
裏返ってナリ上がっているのはないが、さほどの意味は無さそう
<銀鼠の結城>
広重桑名・箱根
これは鹿児島の都喜右衛門で大島を買って仕立てさせたときに
お子チャマみたいな裏地しかなかったので、母親の手持ちを送らせて
仕立てたんだったと思う。こんな道楽息子に愛想尽かしながらも
つき合ってくれたのは、結構それが楽しかったんだろうと勝手に思う
なぜ、桑名と箱根なのかはよう分らないが、桑名も鈴鹿峠の手前だし
とかあれこれ思いめぐらすことも、山の難所と海の難所かもとか
<織の技法をつくした茶色地の大島>
古瓦
<鉄色結城の袖無>
色紙
米沢の米陣にて、はじめて自分で買った米沢紬
母親任せで、羽裏がどうのも一切お任せ、仕立て代もなにも無しという、
不良の始まり記念みたいなもの
それにしても、羽裏の文字なんてのはどうしてこう
字が書いてありさえすればよいてな感じの悪筆が多いのか?
関白忠照なんて歌がこうもカナクギ流ってことはないはずだが
<焦げ茶米沢亀甲>
2012 夏
登竜門
<これは、トンビの裏地となりました>
山水
登竜門というか鯉の滝登りは面白いので買いおいたもの
山水はよくあるパターンの、新古品とでも言うべきものだが
使わないからあげるという頂き物、洗いが上がってみると
縁に若干の傷みがあって生地が薄い、いずれも使う当てが
あってのものではないが、縁があれば使うこともあるでしょう
ちなみに山水の滝にもどうやら鯉らしきものが登っているようです
2012 春
不動明王
父親の残した鬚紬の羽織の裏、どうやら仕立ては母だったのですが
なぜかお不動様の頭が下になるような使い方をしておりました
「お前にはやらない」と母が言っておりましたが結局着るのは
私しかいないので、これも引き取って仕立て直し、
味のある裏ですので天地が合うように剥ぎ直して貰いました
なんとなく、親の供養の気持も含めての遊んでいます
2012 春
浮世絵尽くし襦袢
写楽の大顔を思わせる浮世絵散らしの襦袢地
羽裏、襦袢地というのは共用できることが多いものです
2011 正月
扇面美人画
美人画のつもりで買い求めたのですがどうやら、春画のようです
男はは描かれていませんが蒲団をかけて、ほどけた帯が見え、
顔のあたりにめくれた裾を左手がきつく握りしめ、眼をつぶり、膝をはだけ
と状況は揃っております
<金茶の結城>
2010 大寒
草原の月
女物の大島を仕立て直して羽織にしようというので
ちょっと気張って探したもの、近代日本画風とでもいうのか
東山魁夷みたいなどと勝手に思って、気に入っております
太陽のようでもあり、だが黄色い太陽ってのは下世話過ぎ
<イチゴ風の柄の大島>
2010 正月
鍾馗昇竜
下絵は武者絵の市畑耕雲に構図を指定して注文
染めを無線友禅の銕三に依頼、というちょっと自慢の一品です
しばらくは結城の羽織につけておりましたが、黒紋付きを仕立てるので
そちらに移しました、これがじつによろしい具合です
松樹の鷹
これはなんとも七五三の羽織みたいですが、一興
<黒鬚紬>
山水
浅草の仲見世裏のバッタ屋でキングサイズの反物を買って
母に預けて縫ってもらったものの一つ
母はいつも羽裏を何枚か買い置いていました
おそらく、羽裏の方が断然高いでしょう