百観音霊場巡礼

 四国88所はかれこれ1992年に回ったのですが、その時に頂いた納経帳やらお姿は親を送ったりするときにもって行かせて、お軸と一冊の御影帳しか残っておりません
 となると、自分の時やらどうしようかなどという程に深刻な思いがあるわけでもないのですが、突如思い立ってというような感じで20年後の2012年の初夏になって、西国・坂東・秩父の百観音霊場巡拝を思い立ちました
 33とか、4の霊場というのと、吾が齢も60代半ばとなれば、二つあわせて66とかなにやら語呂もよろしいというようなこともあるかもしれません。


まず用意したのは、自作の納札


そして3本の納経軸

白衣観音

千手観音

福帯観音

西国霊場満願

坂東霊場満願

秩父霊場満願


 納経印、普通には御朱印ですが遍路、巡礼は御本尊や大師堂で読経し、真言を唱え、ご詠歌を歌いというお勤めをする。その記録として有料ではあるが寺が提供するのが納経印、加えて墨書である。
 笈摺:オイズル、とよぶ白衣=帷子に御朱印だけ頂いて200円、納経帳に朱印と御本尊名、山号などの墨書で300円、同じことを納経軸にして頂くと500円となる。
 笈摺はまさに死装束の経帷子に適当なものだが、巡拝の道中着用される方もいらっしゃる。
 納経帳は御朱印帖に同じだが、札所順に寺名、山号など、ページごとにあらかじめ記載して順に綴じたもの。納経軸は、絹布に念仏や仏様、お大師様(四国遍路用)、観音様(主に観音霊場用)を中央に描き、その周辺に納経帳と同じ御朱印と墨書をいただき、満願すればこれを表具して軸にしたてる、そのため、巡拝中は札所ごとの押印書き込みの目安が印刷された台紙に仮止めして軸の姿で持ち歩きます。
 四国遍路用の88所、百観音霊場用は押印数が多いので大型になります。また額装して欄間にかける横型のものもあります。
 で上掲の観音様、左の白衣観音を西国霊場用にと注文、番外5所を加えて38の枠が台紙には用意されています。
中央の千手観音は、坂東霊場用、満願お礼の善光寺へ参ることを予定した34の枠です。
右の福帯観音は秩父霊場用、札所の数と同じ34の枠しかありません。秩父の場合今や早周りなら二日でというコースに途次から遠く離れた場所へのお礼参りというのはあまり説得力はなさそうです。
 購入に際し三本の軸の用布のサイズが一緒であることを確認したのは最終的に三幅対の軸に仕立てようかという目論見からのこと。しかし届いてみると台紙の記入欄の配置が結構ちがう、このままではバランスの良い三幅対に仕立てられそうもないので記入欄の補正をまずしました。


そして、これが出来上がり、表具屋がずいぶん苦労して、うちの一間の床の間に納まるようにという注文をこなしてくれました
本紙の位置もおおかた揃った感じで上出来です。
こうして出来上がりの様子を比べてみると、左の西国のお軸の御朱印の上に、他とは違う丸い判子が四つ並んでいます
これがつぎに解説する「菊印」です

==菊印==

番外・花山院

三番・粉河寺

二番・紀三井寺

一番・青岸渡寺

 次に西国札所の台紙最上段の上に並ぶ四つの菊のマーク、これが分からない、実のところこのマークが何か書き込みなり、飾りが入ることの目安だととちょっとサイズのバランスが崩れるかもということであれこれ調べること一月、ようやく回答が見えてきた。なんと、最初の何ヶ寺かと番外のいくつかで、通常の御朱印の他に、菊印なる印が頂けるのだそうです。門跡寺とか、寺格とかのようですが兎も角そういうことがわかりました。
(こうしてみてみると、それぞれ菊印の中心に違いがあります。)
 メイツ出版のガイドブックでは、このことに全く説明がありません・・いまどきガイドブックを求めて札所巡りをやる人に純粋に信仰心からという人はごく少数のはず、多くは集印行脚ですからこういうことに十分な説明をしなければガイドブックとしては十分とは言えないと思います。
こういうことは、出かけるまでにちゃんと知識として得ておけるように先達役のガイドブックたるもの解説をしておいて欲しいものです。
 まあ、納経軸を売っている遍路用品屋もちょっと説明を入れて欲しいけど。(坂東のページでもメイツ出版の本に注文をつけてます)



納経帳は、回り始めのお寺、あるいは門前で頂く予定で
これが、坂東33所の納経帖、14番弘明寺にていただきました

番外 満願寺(銚子)編集
満願寺とあるので栃木の17番札所 出流山 満願寺と勘違いしておりました

これは、西国札所の納経帖、青岸渡寺の発行になるもので経綴じで
裏表を使う様になっています。墨の裏移りがあるのがちょっと残念かも。


秩父札所用の納経帳、1番の四萬部寺で頂いた大判のもの

書き込みと見開きの御詠歌がきちんと対応しています。
坂東の御詠歌は同じ紙に印刷して二つ折りしてあるので、裏になってしまいます。

100観音霊場とは

 まずは四国88所が弘法大師によって開かれたといわれこれが8世紀頃のこと
 一口に1400kmの遍路道といわれるが、多聞庵主は高松を拠点に週末中心で車での日帰り行程を中心に「閏年の逆打ち」という初めての遍路としてはへそ曲がりをした。
 ちなみに、当時はカーナビなどという便利なものはなくて、遍路案内と、ドライブマップが頼りだった。急な宿泊予約なども、公衆電話でというのが当たり前だから、ローカルの宿では「今人がいないから分らない」「では、1時間後にまた電話します」なんてやりとりも今になってみれば随分面倒なことをしていたものだ。
 いまや、問い合わせや、コールバックは携帯だから、返事を受けるためにまた電話を掛けるなんてことはおそらく若い世代には理解不能、札所への道程もガイドブックに載った電話番号を打ち込めば、カーナビの言うがまま、なんの苦労もなく・・といっても時々はへんなナビゲーションもある・・札所を巡ることができる、ありがたい世の中である。
 当時でもお四国遍路は、遍路道の案内が多くの篤志家によって整備されていたり、昔からの道標が残されているからまだ迷いながらもなんとか道が見つけられたが、100観音にはさほどの便宜は無さそうだ。こんなありがたい文明の利器は無い。

 33観音霊場が西国に再興されたのが花山天皇によるとして、10世紀になってのこと、四国遍路同様1000kmを越える行程になる長大な巡礼となる
 紀伊半島突端の熊野から、西は姫路、北は岐阜北端という広がりがあり、千葉を拠点とする多聞庵主にとってはなかなかの長距離巡礼になりそうである。
あれこれ指を折ってみれば、これまでに尋ねたことのあるお寺もいくつかあるが、かといって観音霊場巡拝としてのものではないから、納経印などいただいてもいない。
          西国観音霊場巡拝


 この西国の観音霊場に倣って、鎌倉幕府になってから坂東33観音霊場が定められたとか、これも巡拝すれば、1300kmほどになるようですから四国、西国の巡礼路を意識しての道程であるということができるでしょう
 西は小田原、北は伊香保温泉、日光中禅寺湖畔、八溝山の山頂近く、そして東が銚子、館山まで広がっており、これも案外に手ごわそうである。
 ちなみに、坂東の33観音霊場が定められてから、元祖33観音霊場が西国33所という呼び方をされるようになったとか。
          坂東観音霊場巡拝

 そして秩父34観音は江戸になって盛んになったようで、近場の坂東域内とはいえ1000kmを超える長旅はそうそうできるものではなし、というようなことも含めて定められたようである。
 これは秩父の狭いエリアでの寺巡りとでもいうべき巡礼だから、3、4度もでかければ大方クリアできそうである。
          秩父観音霊場巡拝

 さて、こうしてすべて回れば100観音霊場巡りは終わるようだが、さにあらず番外とか、お礼参りとかあれこれおまけがあったりして、四国遍路では高野山にお礼参りとされ、これは弘法大師ゆかりの寺でもあり、阿波から海を渡ればそこはもうお山の麓なのだからそんな設定も十分理解できるが、西国33所満願のお礼参りが信濃の善光寺となると、地政学的な理由も含めて、ちょっと理解に苦しむところもあったりもする。
 とまれ、善光寺と北向観音などが、100観音のおまけには付いてくるのである。
 というようなおかずの部分についても既に検討を始めており、というのは、100観音巡拝で3本の納経軸を仕上げようという目的からすれば、そうそう同じところにお詣りしての納経印やらをあちこちに頂くのはどうも納まりが悪いなんてことを考えるわけです。
 高野山については、四国遍路の満願での納経を代参にて済ませてもおり、何度かお参りもしているから、西国巡礼でも高野山は良いだろうとか、今から行程検討の段階で考えているのだが、納経帖は33所なりの札所の納経印をいただくことにて十分にせよ、納経軸は番外やらも回らないと出来上がりの体裁が美しくない事いうまでもない。
 というような余分な慮りも含めて、さて、満願がいつのことになるやら、そして終にはどんな三幅対の観音様の軸ができることになるやらそのときを楽しみに、信心に勤めることといたしましょう

 ところでこんなことを書くと罰当たりと叱られるかも知れませんが、巡礼のガイドブックを見ると、巡礼用品に、金剛杖は弘法大師の身代わり、橋の上で杖を突くと、橋の下でおやすみになった大師を起こしてしまうからタブー、これは四国遍路では、そんな橋の下の番外があったりもしますので十分理解・実感できます。
 菅笠の同行二人の文字は弘法大師と一緒にということだ、などとも書かれていますが、四国八十八所は弘法大師の縁を巡る意味がありますし、どの札所にも大師堂があって、ご本尊と、お大師さんにお詣りするのが作法ですからこれは当然のこと。

 しかし、花山天皇に始まるとも言われる、西国三十三所、さらに下る坂東、秩父となると、金剛杖と菅笠でのお大師さんとの同行の意味があるのかはいささか以上の疑問なのです。
なにより、ガイドブックの編者がまともな信仰が有るとも思えないような書きぶりで、あちこちの引き写しの観光案内のごときものが多いことからも左様思うわけで、寺の由来やらはあっても、なんとなく信仰面ではおざなりな記述、そしてガイドブックとしての使いやすさも、こんな便利な時代としては今一というしかないでしょう
 ましてや、回り始めたばかりでなんとも申し上げられませんが、大師堂とて無い札所の方がどうやら多い様子ですらあるのですから、四国遍路をまねるということにいかほどの意味があるのか?、一体ものが分かってガイドブックを書いているのか、多分分かっていないだろうなということほぼ、確信に近いのです。

 ちなみに、四国は四国霊場とは言いますが、ご本尊も様々ですから観音霊場という言い方はありません、しかるに西国、坂東、秩父は一括りに百観音霊場、巡礼も遍路というのは基本的に四国88所の巡礼を差すということで区別するようです。
 ということもこれあり、お四国さんでは持ち歩いた金剛杖は無し、輪袈裟と数珠を標準装備とします・・ん?さて、あのときの金剛杖はどこへやったのか?お礼参りで88番に納めたんだったかしらん?

さて、観音様には三十三という数字がまつわりますが、観音様が様々に姿を変えること三十三身、上は仏から、毘沙門などの天界の存在、人界の比丘など、果ては夜叉、阿修羅までまさに多様に変身して衆生を救済するということからきているらしい

 そして、普段に拝むいわゆる観音様の像のお姿としても

1.聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)
 オーソドックスな観音様で左手に蓮華を持つことが多い。
 除災・滅罪

2.千手観世音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ)
 たくさんの手に様々の道具を持ち、レスキューみたいでしょうか?
 破地獄・敬愛・滅罪。

3.十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
 すべての方向に顔を向けた十一の顔をもつ。
 除災除疫・聖天調和。

4.如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)
 如意は「如意宝珠」という珠、輪は「法輪」(仏教の教え)を持つ。
 立て膝をしていることが多い。
 福徳・破宿曜障・敬愛。

5.馬頭観世音菩薩(ばとうかんぜおんぼさつ)
 怒った姿であるが、衆生の無知や苦悩を断じて、悪を消滅する。
 畜類救済・調伏・結界。

6.准胝観世音菩薩(じゅんていかんぜおんぼさつ)
 准胝とは清浄という意味で、心の清らかなこと。一面八臂と一面十八臂がある。
 子授け・安産・延命。

7.不空羂索観世音菩薩(ふくうけんさくかんぜおんぼさつ)
 羂索とは、鳥獣や魚を捕らえる網。すべての人をもらさず救うという。
 一面八臂と三面四臂がある。
 難事成就・人界守護・美容。
  密教系の観音の姿で、六観音という場合にはこれは除かれるか、
 6の准胝観音と入れ替わることがある。

の七種のお姿で現れるというか、仏像として表現されるようである。

 上に紹介した、三本のお軸では中央の千手観音はそのお姿で間違うところがない。

 福帯観音は聖観音の典型的なお姿で、ネットで検索する限りそのように呼ばれる観音さまは見つからず、きっと画家が聖観音の独自のバージョンとして描き、献題したものと思われる。

 白衣観音は、阿弥陀如来の配偶者であり、かつ観音様の母親というここにも三位一体説みたいなややこしい血縁というか相関図(母と子が同一ということなのだから・・)があるわけだが、世に白衣観音として認知されている観音様のお姿で、分類基準から推測すれば聖観音に属するものと思われる。




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